一見「トラブル?!」かと思ってしまうような、でも、実は美肌に向かう着実な成果があります。この代表的な例を取り上げ、解説します。
成果をトラブルと勘違いして対処していたら、せっかくの美肌が育つチャンスを逃すことになります。これは大きな機会ロスです。
意外と多いのですから……、読者にもそんな記憶のある方がきっといらっしゃるでしょう。
春~夏は肌が育つ絶好の季節
植物がもっとも繁茂するのは夏です。
私達の肌もよく似ています。春をスタートに肌の育ちは良くなり始め、夏がもっとも肌の育つ成果のあがる時です。つまり、春~夏の季節は、
- 美肌が育つチャンス
- 肌の健康を立て直すチャンス
- トラブルを改善するチャンス
なのですね。春や夏は身体だって何となく活発になってきたように感じませんか。
確かに、気温も高くなり、肌に厳しい寒さや冷たさはありません。気温が高くても湿度が維持されています。天然の化粧水として肌を潤す汗も増えています。
「えっ!、それってホントに肌に良いことなの?」
思わず、こんな疑問の声があがりそうです。極端な暑さや湿度、それに極端な汗をかく状態はけっして良いとは言えませんが、そんなに目くじら立てるような災いを肌にもたらすものではありません。厳しい寒さ・冷たさ、そして乾燥に比較すると、天と地ほどの違いがある良い環境です。
ところがです。春や夏のトラブルは多い!!意外ですね。
「意外じゃない。春や夏はトラブルの季節よ。」
このように思う人も多いでしょう。現実にトラブルが多いのですから……。でも、春・夏のトラブルは肌を知り、ダメージをよく知っていたら、避けることが出来るトラブルがほとんどです。ホントです。
環境が良すぎて、油断することがトラブルの多くの原因になっています。でも今回は、これがテーマではありません。興味ある方はバックナンバーをご覧下さいね。
上のグループから、一つ紹介しておきます。
参考講義:「夏は美肌づくりの危機とチャンス」
今日のテーマは、トラブルではなく、肌が育つ成果です。でもこの成果は、困ったことに成果に見えないものですから、せっかくの成果を台無しにする方が多くいらっしゃいます。これはもったいないですね。
肌が育つケア…ある日垢がポロポロ取れて、大慌て!…その結果は?
お風呂に入って、「あー、いい湯だな♪」なんて思いながら、何気なく身体を指で触っていたら、ポロッと垢が取れたような手触りが……!
「あれっ?ちゃんと洗えてなかった?」…というわけで、焦って垢すりを始めてしまったりします。すると、取れるわ、取れるわ、壮快にボロボロと垢がでてきます。
「顔はどうかな?」と、恐る恐る頬に指を当て、優しく少しだけ擦ってみる……。
「……ん?何となく……垢が取れそうな予感!」ここまでくると、日頃の抑制もどこへやら、思い切って顔の垢すりまで始めてしまいます。
挙句のはてに、「これは洗い方が不足してたのに違いない!」と考えるにいたり、もう一度身体と顔を洗浄剤を使用して洗い直し、
「あー、すっきりした。」
「これからはもう少しきっちり洗わなくては……」
と反省する始末です。
もうお気づきですね。
そうなんです。これは、まだ落とすべきでない角質を、必要以上に、予定より早く落としている姿そのものです。垢になりかけていた未熟な角質達を一掃している姿です。
未熟ながら古びかけた角質が、必死に肌に踏み留まり、もう一日くらいは働こうとしていたのを、無神経にも一掃している行為なのです。
顔の肌だって、身体だって、肌が育つケアのマニュアル通り、優しく一度洗えば肌の清潔さは十分です。肌に残る垢と思しき角質は汚くないのです。
今まで、タオルは使用せず、身体も手で洗うようにして、育つケアを一生懸命続けていたから、未熟で傷みやすく古びて見える角質も、そんなに見映え悪くもならず、肌に踏み留まるようになっていたのです。
あとは、より良く育った表皮が角質となって現れてくるのを待つだけで良かったのです。
ある日の入浴を機会に、ある日の洗顔を機会に、「あーっ、さっぱりした」という満足感とともに、肌が育つケアの成果が洗い流されてしまいます。まさに水の泡と消えてしまったのです。
肌にとってバラ色の世界が、すぐそこ迄のところに近づいていたのに、ある日を境に10歩くらい後退しています。
この時、最大の問題は、肌が育つケアの後退に気づかないことです。春から夏にかけての季節は、肌にとっても「い~い湯だな♪」の、まさに、ぬるま湯世界です。肌にとって素晴らしい環境に仕掛けられた罠なのです。せっかくの肌が育つ絶好の季節を、育ちそうで育たない中途半端な季節にしているのです。
誤った風説の浸透により、「角質」という言葉に、「美肌作りの邪魔をしているもの」とのイメージがつきまとい、蔓延し、随分多くの肌が迷惑を受けてきました。まだまだこれからも被害に遭う肌は多いと予想されます。
しかし、「垢」という言葉のイメージには、もともと不要なものとしてのイメージが定着しています。垢は垢ですから、当然とも言えるのでしょう。垢だと感じたら、美肌塾の古くからの読者であっても、やはり無意識のうちに落とす努力をしているに違いありません。(勝手に決めつけて、ごめんなさい)
「どこまでが角質と言える存在で、どこからが垢と呼ぶべきものか」の定義は重要だけど、明確な線引きは難しいところです。ここはしっかりした判断基準を持っておかないと、サッポー美肌塾の読者といえども、せっかくの肌が育つチャンスをふいにしている可能性があります。
今日の美肌塾の締めくくりとして、サッポー流に角質と垢を定義致します。しっかり肌が育つケア理論にインプットして下さい。
角質と垢を分けるもの
サッポーが推奨する石けんで、優しく撫でるように手で洗うだけで、洗い流されていく角質は垢である。この様にして洗った肌に残る角質は、垢ではなく働くべくして残る大切な角質である。
今までの常識(感覚)は捨てて下さいね。新しい常識(感覚)を肌で覚えて下さい。新しい感覚が定着するまで意識しましょう。最初はムズムズするかもしれませんが、その内に慣れてきます。さらにそうこうする内に偉大な変化が肌に訪れているのを発見するでしょう。
「垢を落とそうとしなかったのに、垢が出なくなっている!!」
このことに気づいた時は、感激の一瞬です。よく育った角質で肌が覆われるようになった証です。以前なら、ズルッと垢が出るような擦り方をしても垢が出ないのです。良く育った角質は一つひとつが互いにしっかり繋がっているからです。
さらに都合の良いことに、良く育った角質は、最表層に来て一日の役目を終えると、優しく洗うだけで、造作なくさらりと剥がれていくのです。未熟で育ちの悪かった角質が、集団でごそごそと剥がれ、垢の存在を感じさせていたのとはまるで違う剥がれ方です。
桜の花が美しいままに、一片ひとひら一斉に散っていくように、よく育った角質も、一片ひとひら一斉に剥がれていくのです。自ら剥がれていく用意が、育つことにより備わったからです。
- 秋~冬は肌の育ちを守る時、春~夏は大いに肌が育つ時
- 垢と思っているのは、明日の美肌を守る角質!垢は自然に落ちていく
「サッポー美肌塾」第267号
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